2014年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

父からの手紙

まだ父と母が若く、戦争という恐ろしいものが日本にもあったころのこと。

召集令状が届いた父は手も握ったことのない母へ、汽車の窓から手を握り(まるで歌の文句のようだが)、一通の手紙を渡したそうだ。

すずらんの君が面影千代までも

つつがなかれと心で祈る

このうたの中には母の名前が含まれている。この手紙を手渡しながら、再び生きて会えることはないだろうと、戦地に赴いたそうだ。

それが、終戦後会うどころが、結婚をして子供も生まれ、母の死の間際まで一緒にいることになった。

父は今年93歳。母との思い出を嬉しそうに話す父がかわいいなと思う反面、まさかそろそろお迎えが来ているわけではないよなと不安にもなった。

反抗期

上の息子に続き、下の息子も反抗期に突入。

人の言葉にいちいち逆らい、挙句にふて寝。

上の子と違うところは、壁や柱にあたらぬところ。ただただ、寝てしまう。

明日は母の月命日。

今にして思うことは、私の母に対する反抗心。

母の日にプレゼントもあげた。

旅行にも一緒に行った。

でも、優しい言葉をあげなかった。。。

いつもいつも顔を合わせるとケンカばかり。

私が、優しさを示し、優しい言葉をあげれば、きっとケンカなどなかったろうに。

お母さん、本当にごめんなさい。

もっともっと、優しい言葉をあげればよかった。。。。。

母の詩

母が亡くなった後、何年も書き続け、ためていたと思われる、詩が見つかった。

今は車いす生活で介護を受けている母の妹が、

その詩を見たいと言うので、父が郵便で届けました。

先日一番下の妹、私には叔母にあたりますが、

「私も読んだので、お父さんに返しておいてね」と、私に手渡したのです。

今、あらためてその詩を読んでいて、涙が止まらなくなってしまいました。

同じような年代の歌手や俳優、そして友が次々と難病にかかり逝ってしまう。

自分も難病といわれる病に、十数年悩まされている。

難病をかかえし身には生きること

  そのことさえも許されぬものかな

父と一緒になり、幸せになれると思っていたのに、夜の落ち着いた会話もままならない。

なに故にがまんしたのと問われれば

  即座に応へぬ吾子のいとしさと

孫が生まれたときに作った詩もある。

ゆうきよ良い子に育て 母想う子に

  ばばわいつでも 空から見てるよ

二男が生まれ、忙しかったため長男につらく当たってしまったとき、

おさな子の 顔変わりしわ常なれど

  笑みなき顔に 胸つまされる

長く母の話し相手だった、愛猫が逝ったとき、

二十年我が家に居りし猫のチビ

  今日安らかに眠りにつきたり

まだまだたくさんある。

今度、一通り入力し、まとめておこう。

母の命日と従妹の病

今年の母の命日は、仕事をしていました。

「何だ、線香の一つもあげに来ないのか」

といわれたのですが、さすがに命日だからと休むわけにはいかず、

「今年は行けないから、私の分までお線香をあげてきてよ」

と、父に応えていました。

そして、昨日、従妹の見舞いに行って来たのです。

母と同じように、「癌」という病に侵されている従妹。

血管肉腫とは本当にやっかいな病気だと思う。

どのサイトを見ても、50代とという若さで命を落としている人が何と多いことか。

私の従妹も51歳という、まだまだこれから家庭にも、また自分の楽しみのためにも、

たくさんの時間を使って行けるはずなのに、

彼女もあと1カ月と医者から通告を受けたそうだ。

昨日の彼女は痛み止めを点滴で受けているため、

ほとんどうつらうつら状態で、話もまともにはできない。

従妹5人で熱海の温泉へ旅行に行ったのは、わずか1年前のこと。

母の時もそうだった。

わずか1年前までは、旅行にも、買い物にも自由に行けたからだが、

今は手かせ足かせを科せられたように、動かすことが出来なくなっている。

癌細胞など全て無くなってしまえばいいのに。

母の言葉を借りれば、

「本当に癪に障る、憎たらしい奴」

だ!!

風が吹いてます

また、母の命日が近づいてきました。

5月の連休、やっと気持ちのよい風が空を駆け巡っています。

あの時、病院で見上げた空が私の中に帰ってきました。

「お母さん、お帰り!」

そんな言葉が飛び出そうな、今日の青空でした。

昨夜、私は祖母の夢を見ました。

座布団2枚を敷いて寝ている祖母に、一生懸命布団を敷いてあげている夢でした。

なので早速母に、

「昨夜おばあちゃんの夢を見たよ」

と、報告をしたのですが、ちょっと心配になり、

「お母さん、まだお父さん連れて行かないでね」と、念を押した朝でした。

ふろ掃除

年末にふろ掃除をしたので、まだまだ大変きれいである。

でも、髪の毛やその他もろもろのごみで、やはり排水溝はつまってくる。

今夜、お湯の流れが大変悪くなっているのに気がついて、お風呂に入りながらつまりを取っていると、あちこちが気になり、いつの間にかたわしをもって掃除をしていた。

掃除をしながら、よく亡くなった母も、こうやってお風呂に入りながら掃除をしていたなと、思い出していた。私もやはり母の子かと苦笑いしながら。

母のいたころのお風呂はとても気持ちがよかった。タイルには、カビなどまったくなく、いつもいいにおいがしていた。

今の実家は男二人のどうしようもない所帯だ。兄と90歳になる父が二人だけでは、掃除など行き届くはずもなく、部屋はクモの巣とホコリが同居し、お風呂はカビとヌルヌルがはびこっている。

よくこんなところで生活が出来るものだと、妙な感心をしてしまう。近ければ、毎日のように行くのだが、遠いとなかなかそうもいかない。

などと思いをはせながらお風呂に入っていたら、気がつくと1時間以上になり、すっかりのぼせてしまった。

叔父の死

遠く離れて住んでいる叔父が、亡くなりました。

亡くなった母の一番下の弟でした。

長男が帰宅して布団の中を見たら、既に亡くなっていたそうです。

去年の春、母の3回忌には杖をついてさえも来てくれたのに、これからまだまだ頑張るんだ!と言っていたのに、死んでしまった。。。。。

3年前に亡くなった母の声もしっかり覚えている。

叔父の声もはっきり覚えている。関西弁の優しい声だった。

人の死は、悲しい、それが身内であればなおさらだ。

お母さん、叔父さんがそちらに逝ってしまったよ。

安からに 安らかに と願う。

風が透きとおってきました。

母の病気が伝えられた秋がまた来ました。

葉が赤や黄色に色づき、空が高くなり、雲が細く、風がくるんと弧を描くように私の鼻先をかすめて行きました。

ずうっと昔、私が幼かった頃、祖父とキノコを採りに山に入り、庭でたき火の中にお芋を放り込んで、銀杏がはぜる音を聞いていた。

母の姿の向こうに、今は亡き祖父との思い出がよみがえってきた。

もう2度と取り戻すことのできない日々。

あまりにも懐かしすぎて、涙がこみ上げてきてしまい、なんとも感傷的な一日を過ごしてしまった。

いまは幸せかと人に問われたら、きっと首を横に振ってしまうだろう。

でも、自分で選んだ道なのだから、泣いて生きるも一生ならば、笑って生きるも一生。

ならば、私も笑って生きようか。

3回忌

母の3回忌が、5月9日に行われた。

いみじくもこの日は、私の誕生日。

昨年の1周忌は母の日にあたり、今年は私の誕生日でした。

昨年は雨の滴る寒い日でしたが、今年はカラッと晴れて本当の五月晴れ、いつもは来なかった親戚も集まり、久々の大にぎわいでした。

これほどの親戚が集まるのはもうないのではないかと思い、全員で写真を撮りました。母の命日は全員集合の最後の一日だったのかもしれません。

父曰く、亡くなって一年は泣いて暮らすから、1周忌は最後の大泣きの日なのだろう。2年がたつ頃にはその涙も枯れて、気持も癒えてくる。やっと晴れることができるようになるのだろうと。

本当にその気持のままの一日でした。

こうやって母を思い出すと、まだまだこみあげてくるものがあります。毎日毎日、母を思い出さない日はありません。でも、いつかは私も母のところに行くのだからと、その時は必ず忘れずに迎えに来てほしいと、そう願い母への思いを閉じ込めます。

それでも買い物に行くと、「この色は、お母さんの好きだった色だなぁ」とか、「このズボン長さがお母さんにぴったりだ!」と、ついつい思ってしまいます。

買い物が大好きだった母。未だに母の洋服が整理しきれずにいます。

本当は、もう一度母と買い物に行きたい。親子喧嘩をしながら歩きたい。永久に無理だという事はわかっていても、そう思わずにはいられない。。。。

お彼岸

母は「成田山」が、大好きでした。

毎年、5月には必ずお参りに行っていたのです。

でも、一昨年母が亡くなり、2年ほど足が遠のいていました。

今年は、主人の厄年でもあり、母の3回忌でもあるので、お墓参りをし、母も連れて、成田山にお参りに行きました。

午前中は大嵐のような、雨と風が吹いていましたが、午後からはカラッと晴れて、とっても良いお天気になったのです。

これからは、良いことがあるかしら? ねぇ、お母さん。

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー